台湾で今なお尊敬される日本人八田与一技師と烏山頭ダムの波乱の物語

台湾
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台湾の台南市に烏山頭(うさんとう)ダムというダムがあります。このダムは台湾が日本領土だった時代に造られ今も現役運用されています。このダムの建設を指揮したの本人技師八田与一について2023年10月に実際に訪問した際に撮影した写真を添えて解説をして行きます。

八田與一と烏山頭ダム:台湾における日本人技師の功績と物語

烏山頭ダムは嘉南大圳(かなんたいしゅう)の中心的施設です。嘉南大圳とは台湾南部広大な農地灌漑用水を供給する大規模な灌漑事業であり台湾の農業の発展大きく貢献しました。総工費は約5,400万円(当時)で、当時の台湾財政規模から考えても巨額事業でした。嘉南大圳建設は、1920年開始され、1930年完成しました。

日本人技師八田與一は、烏山頭ダム設計建設指揮し、嘉南大圳成功不可欠役割を果たしました。

八田与一技師とは

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八田与一技師は石川県金沢市に生まれました。東京帝国大学土木工学学び台湾総督府就職しました。台湾では、台北廳土木課長嘉義廳土木課長などを歴任し、嘉南大圳工事事務所長就任しました。

嘉南大圳中心的な役割を担い、烏山頭ダム設計建設指揮しました。

嘉南大圳の建設と烏山頭ダム

烏山頭ダム建設は、非常に困難作業でした。

当時重機発達しておらず、多く手作業建設に携わりました。

また、地盤が軟弱だったため、度重なる土砂崩れが発生し、多くの犠牲者が出ました。

八田與一は、困難状況の中でも諦めることなく、嘉南大圳完成に向けて努力続けました。

1930年ダムは完成し、八田技師は台湾総督府に帰任しました。

1942年5月8日フィリピンへの出張中に乗船していたアメリカ潜水艦攻撃を受け沈没し、56歳亡くなりました

本人以上に波乱に満ちた八田與一の銅像

八田技師の銅像設置

1930年5月、嘉南大圳(かなんたいしゅう)の中心的施設である烏山頭ダムが完成し、技師の八田與一は再び台湾総督府に復帰することになった。

何か記念になるものを残したいという声が従業員の中から自然発生的に上がり、八田技師の銅像を作ろうということになった。

当初固辞していた八田は「台の上から見下ろしているような像にだけはしないでほしい」という条件を付けて最終的に同意した。ダムの起点に腰を下ろしいつも頭髪を触りながら思索する姿の銅像が、31年7月8日烏山頭に設置された。

銅像の供出と発見

しかし、日本の戦局が悪化すると、金属類供出令による銅像や釣り鐘の供出が行われた。八田の銅像も例外ではなく供出されてしまいました。

終戦後も八田の銅像は供出後、行方不明のままだった。ところが偶然にも台南市内の闇市で、かつて八田の部下だった坂井茂の息子が見つけた。番子田(現在の台南市隆田)にある協会倉庫に運び込まれました。日本人の銅像や神社が撤去される時代である。水利協会はダムの管理事務所の地下室に銅像をしまい込み以後30年余り封印した。

八田の銅像は81年に台座を付けて元の場所に再び設置された。烏山頭から姿を消して37年が経過していた。嘉南の人々は、苦労して八田の銅像を守り抜いたのである。

また、顕彰事業は妻外代樹にも拡大され、平成 25(2013)年の命日 9 月 1 日、記念公園内に我が子を抱く銅像が建立された。

またも受難、銅像の頭部切断事件

2017年4月16日、台湾南部・台南市の烏山頭ダムにある八田與一技師の銅像の頭部が切断され、持ち去られる事件が発生しました。4月16日早朝、嘉南水利会の関係者が烏山頭ダムを訪れたところ、八田與一技師の銅像の頭部が切断されているのを発見しました。銅像の頭部は付近で行方不明となり、警察は窃盗器物損壊の疑いで捜査を開始しました。

2017年5月17日、元台北市議会議員李承龍容疑者が、自身のFacebook上で犯行自供し、台北市内の警察出頭しました。李承龍容疑者は、中華統一促進党に所属する急進的統一派政治家でした。

事件発生から1ヶ月5月8日には、八田與一技師の命日合わせて、嘉南水利会によって銅像修復作業が行われました。修復された銅像は、同年6月一般公開されました。

【当時の報道より引用】

先ごろ頭部が切断された、八田与一氏の銅像が修復され、7日に改めて除幕式が行われた。日本占領時代に、台湾中部・雲林県、中南部・嘉義県、南部・台南市に及ぶ大規模な灌漑施設を整備し、これらの場所を穀倉地帯に変えた日本人技師、八田与一氏の銅像は先月15日、元台北市議会議員らの手によって頭部が切断された。

5月8日の八田氏の命日にはこの銅像を囲んで毎年慰霊祭が行われてきたが、銅像が損壊したことで慰霊祭の開催が危ぶまれた。その後、奇美博物館が所有していたレプリカの胸像を利用して修復が進められ、7日に修復後の除幕式が行われた。

台南市の頼清徳・市長、日本・金沢市の山野之義市長、八田氏の孫にあたる八田修一夫妻らが、八田氏が建設した烏山頭ダムに集まって除幕式に立ち会った。祖父の銅像が短期間で修復されたのを見た八田修一さんは、「信じられない」と驚く一方、今回は銅像のためでなく、台湾と日本の友情が損なわれていないか確かめるためにやってきたと話した。

頼・台南市長は、友情は試練に耐えてこそ本当の友情だと強調、台湾と日本の友情は変わらないばかりでなく、さらによくなるはずだと話した。

台湾国際放送

現在の烏山島ダム

現在、烏山頭ダムは市民の憩いの場所としても一般公開され(入場料200台湾元)ています。八田与一記念館と自宅跡も作られて多くの観光客が訪れています。

私が訪問した2023年10月にも技師の銅像には、出身地の石川県の団体が慰霊にこられていました。また自宅跡には日体友好団体が来られていました。

出身地金沢から来られた人の慰霊式
八田与一自宅跡

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