2023年10月初めてフィリピンに滞在しました。マニラ・セブ島・ネグロス島と周りましたがフィリピンの人たちは陽気で人懐こく、特に子供たちは懐いてくれました。
本記事では実際に出会った人たちと子供たちの思い出を紹介していきます。
マニラで出会った人たちと子供たち
マニラの宿から一番近いご飯屋さんのお母さんです。私は海外に滞在する時はできるだけ宿から近いご飯屋さんに不満がなければずっとそのお店に通い続けます。
できれば家族経営のほどほどに繁盛しているお店がいいですね。1週間も毎日通えば自然と仲良くなれます。そこのお客さんにもだんだんと輪が広がっていきます。最後の日には別れがたく寂しい気持ちになりますが、それは逆に財産でもあります。
次にバナナの串焼き屋台のお父さんです。宿の前の通りは食べ物屋台が並んでいます。鶏の串焼きやピーナッツのロースト、持ち帰りのご飯などたくさんあります。バナナの串焼きもそのひとつです。
この屋台のお父さんはとてもフレンドリーで、毎日『トモダチー』と呼びかけてくれました。ついつい毎日串焼きを買っていました。
マニラの中心部では子供達だけで遊んでいるところは見かけませんでしたが、少し郊外へ行くと街角や路地裏で子供達だけで遊んでいるのを見かけました。
あるローカルの住宅地を歩いていると子供たちがいたのであいさつをすると子供たちも愛想良く返事をして手を振ってくれました。
他の路地裏でも同じように子供たちが遊んでいたので写真や動画を撮らせてもらいました。
この子たちは物乞いではなく、純粋に楽しく接してくれました。
その他にも学生たちがダンスの練習をしているのを見学しました。イベントでもあるのか、広場や道の上でいくつものグループが練習をしていました。彼らは高校生くらいの年代に見えました。文化祭みたいなものかな?
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セブ島で出会った人たち子供たち
マニラの次の滞在地はセブ島でした。セブ島に事前情報があったわけではありません。フィリピンで聞いたことがあるくらいの知識でした。
フィリピンでも有数の観光地で最近では英語の語学留学の滞在先としても有名だそうです。
セブ島の宿は中心部ではなくて郊外のマゼランの十字架やさんトニーニョ教会の近くでした。ローカルの住宅地の中にあったのでホテルを一歩出たら現地の人の生活空間でした。
ご飯も決まった露店で食べましたし、近所の人たちと毎日交流することができました。特に子供たちがとても多くてしかも元気で陽気で懐いてくれました。
路地を歩いて近所の子供たちに挨拶をすると集まって来てくれて、カメラを向けると大喜びです。
夕方にまた別の路地を歩くと、また別の子供たちがたくさん路上で遊んでいます。涼しくなった夕方が遊びの時間です。たくさんの子供たちが集まってくれました。
子供たちから現地のセブアノ語の挨拶を教えてもらったりしました。(発音を厳しく指導され何度もやり直しをさせられました。)
少し離れたところに大きな市場があって、その周辺にローカルの住宅地があったので行ってみました。昼間から酔っ払ってカラオケをしているおじさんたちや、狭い通路を走り回る子供たちなど賑やかでした。
ネグロス島で出会った人たち子供たち
セブ島の次の滞在地はネグロス島でした。ホテルの周辺は自動車部品のお店や修理工場が並んでいて地元の人の住宅地は見当たりませんでした。
それでも少し歩いてショッピングモールの周辺まで行くと、その周囲には住宅地がありました。
ネグロス島の人たちもフレンドリーでした。道端にいた人たちに挨拶をしたらとてもウエルカムでお話をさせてもらいました。
住宅街を歩くと子供たちが遊んでいて挨拶をするとすぐに仲良くなれました。
子供の数も多くて声をかけると集まって来てくれます。
カメラを向けても喜んで写真を撮らせてくれます。でも、まず仲良くなってからです。いきなりカメラを向けるようなことはしません。
ひとつの通路を行くだけでこれだけの子供たちが集まってきました。バイバイをした後もいつまでも手を振って送ってくれました。
住宅地はどこに行っても子供たちが元気に遊んでいます。
まとめ
2023年に初めてフィリピンを訪問して首都マニラ、セブ島、ネグロス島と滞在しました。セブ島とネグロス島の体験が上記のようにとても楽しいものでした。翌年2024年もミンダナオ島、パナイ島を訪問しましたが、前の年のように現地の人との楽しい交流はできませんでした。フィリピンならどこでもというわけにはいかないようです。でもフィリピンにはまた行きたいと思っています。
参考
・インドで出会った人たち オールドデリー・バラナシ・ムンバイ編
・ネパール カトマンズとポカラで出会った人たち子供たちとの思い出